2011年12月14日
これ以上はあり得ないことが確実となったこの日。堀内智實さんご自身が件の大著に載った写真のネガとプリントの総てを山階にご持参、無償でご寄贈くださった。有難いご決断。山階を代表して島津理事長との間で覚書が交わされたのである。いや〜、日本の伝統狩猟の歴史がモノクロ写真の形でしっかりと将来に受け継がれるこの時に私も立ち会わさせていただけたとは! かくしていろいろとご縁のある展開が一つにまとまって、堀内讃位写真資料の整理、保存、活用の責任は山階が担うことになった。
歓談中に理事長は意外なことを指摘された。「ボクの親爺がこの本の写真に出ていまして、ね。」 狩猟官を兼務されておられたご厳父のお姿が、『写真記録 日本伝統狩猟法』で拝見できようとは思ってもみなかった。
秋口から2011年末への急転直下の展開は、ちょっとした鶴見さんの発言がきっかけで、それを受けてフットワーク軽く動いた今井さんのまったくのお陰であった。“ちょっとしたきっかけ”を見逃さずに追っかけること、これぞ追っかけ根性と私自身に言い聞かせたのであった。
野鳥関連の写真資料で重要なことの一つが、これにて一件落着。これまでの諸々の私なりの追っかけの経緯を思い起こすと、夢のようです。長い年月追っかけにご協力くださった皆さま、ほんとうに有難うございました。
さっそく前回 (2011 Dec.) の続きです。堀内讃位(ほりうち さんみ、1903−1948)の写真資料の存在を探る当てのない旅がどうなっていくのか・・・。
堀内讃位の『写真記録 日本伝統狩猟法』(株式会社出版科学総合研究所 1984)という知る人ぞ知る大著に掲載されているモノクロ写真は、堀内自身ライカを駆使して撮ったもの。そのネガやプリントは、果たしてどこかに現存しているものなのであろうか? このお宝級の写真文化遺産の行方を、バード・フォト・アーカイブスとしては何としても確かめておきたい。
一昨年以来、わずかの手がかりが得られてはお宝発見への希望が見え隠れしてきたが、昨年秋口になってちょっとした情報から思ってもみなかった展開があった。今回はそこに至るまでの追っかけ記録の後半である。
2011年8月10日
新しい情報がなんら得られないままに1年近くが経っていた。山階鳥類研究所での昼食事の雑談で、私はボヤキ半分、いつも頭の片隅から離れない堀内讃位の写真資料の一件を話題に持ちだしてみた。自然誌研究室長の鶴見みや古さんが反応した。
「堀内讃位の写真を保管できるかどうか以前に山階(鳥類研究所)にも確か打診があったんですよ。」
「えっ? なにそれ〜!」
1995年に保管先を複数当たっていたらしいのである。ということは、1984年出版当時には整理されていたハズのネガやプリントが、どこかに存在しているに違いないことになる。私は少なからず動揺し鶴見さんにコトの顛末を迫った。記憶をたどっての情報ほどもどかしいものはないが、すばらしいことに鶴見さんの個人的な業務ノートにきちんとメモが残されていた。山階では、どう保管する用意があるか文書で答えて欲しいという先方の要求に写真管理の検討を進めたが、ややして件の本の監修をされた松山資郎さんから、「山階ではなくなった。お手数をかけて済みません」との連絡が入って、それきりとなった・・・。
こんなすれ違いの大事が山階で起きていたとは。私が悔やんでも仕方のないほど10年一昔以上のことではある。しかし、しかしである。どこだか特定できないが、どこかの恐らくしかるべき団体が堀内讃位の写真資料を多分そっくり保管しているのではないだろうか?! 鶴見メモからは、そう推定するのが妥当であった。
私はそれまでの追っかけに急に気抜けしたものを感じたのと同時に、あの重要な写真資料が無事にどこかに保管されていることに限りない安堵と喜びを覚えたのである。
このビッグニュースを私はそれまで「さんみや」を中心に追っかけに加わって支援してくださった平岡さん、岡村さん、松田さんにさっそくご注進に及んだのは言うまでもない。
松山さんに選ばれた意中の管理者はどこの誰なのか、わずかに残された問題はいずれ解決されることだろう。かくして私は、堀内讃位の追っかけに終止符が打たれたと思ったものだ。
2011年10月12日
堀内讃位の追っかけが私の中では過去のものとなって、心穏やかに下村兼史写真資料の関連作業を続けていたこの日、山階鳥研に二人の来訪者があった。現代社会に埋もれてしまいそうな人と野鳥との関わり合いを映像に記録する2年プロジェクトのチーム代表今井友樹さんと、澤幡正範さん。共同研究者としてチームに加わっている山階の佐藤文男さんが、プロジェクトではモノクロ写真が絡むので私も興味があろうかとお二人を紹介してくださった。
用向きは、なんと件の『写真記録 日本伝統狩猟法』に載っている写真をプロジェクトで活用したいので堀内讃位のご遺族にコンタクトできないものか、という私にはビックリな話。これまでの私の追っかけ経験をお話し、手がかりはわからないが、今現在資料を管理していると思われる団体なりを探りあてるのが早道かもしれないと結んだ。
同席の鶴見さんからは、「松戸市の博物館でも確か伝統狩猟の展示をおこなったことがあり、そこの学芸員さんがなにかご存知かもしれない。」と頼りにしたいようで内容がはっきり見えないアドバイス。それでも今井さんさんは淡々と、「松戸市立博なら知り合いがいるので聞いてみます。」後に振り返れば、このやりとりが総てだった。
情報交換はなんとも頼りないものではあったが、プロジェクトチームの追っかけボートに私も乗せていただければとお願いすることは忘れなかった。思いもかけずに追っかけ再開となってしまった。
2011年10月20日
電話が鳴った。思ってもみなかった情報を今井さんから報告していただけた。松戸市立博で得られた情報とは、展示した写真はご子息の堀内智實という方からネガをプリントしたものを提供してもらったこと。ネガはご遺族がそれぞれもっていて、その一部を智實さんが保管されていること。智實さんとは勤務先の某出版社を通して連絡したこと。頼りなさそうに思えた鶴見発言から一転して期待のもてる展開に、私は驚きを隠せなかった。ただ、ネガがご遺族の間で分割保持されているのは、なんとも先行き不安を感じさせられた。なんとあろうとそこまで心配している場合ではあるまい。
さっそく今井さんは出版社に問い合わせたら、智實さんは退職されていた・・・。ここまできて、なんたることだっ。でも、落胆を拾ってくれる神さまがいた。ご親切な出版社の方が智實さんに電話をつないでくれるという。それを頼りに今は智實さんからの連絡待ちだけど、もしもお会いできるとなったら私も同席してもらえるかとの、一気に明るい見通しとなってその日の電話は終わった。
2011年10月21日
ついにその時がきた。今井さんが電話で堀内智實さんと直にお話されたという。一番肝心のネガは、一式まとめて智實さんが所有されているとのこと。「やったぁ!」目眩がしそうだった。待ちに待った貴重な情報だった。ここまでくれば、もう大丈夫・・・ いや、追っかけのスタートからこの数日の一喜一憂を思えば、まだまだ何が起きるか・・・
2011年11月9日
「さんみや」縁の地、巣鴨の駅近くの喫茶店で堀内智實さんは待っていてくださった。長い間探していた方と相対して、私は年甲斐もなくいささか興奮していた。失礼のないように緊張もしていた。穏やかな口調で話される堀内さんにホッとした気持ちで、積年の想いが私の口をついて出た。
『写真記録 日本伝統狩猟法』に載っているネガと出版用に吉田武士さんが焼付けられたキャビネサイズのプリントは、総て金庫に大切に保管されているとのこと!
ネガにお酢のような臭いはしないので、一番心配されたその手のネガの劣化は進行していないようだ!
一番気になっていたことが確かめられて、言い知れぬ安堵感とともにバード・フォト・アーカイブスの追っかけは一気にゴールへ駆け込んだ。いろいろの方にお世話になったものの、最後は今井さんのお陰に他ならなかった。
今井さんご希望の堀内讃位資料のプロジェクトでの活用を快諾してくださったばかりではない。堀内さんは堀内讃位写真資料一式の保管依頼先を考え始めておられたところで山階鳥類研究所が候補だという願ってもないお話が伺えた。そういうことであれば、山階の客員研究員の立ち場でできればのお願いをその場でしたのであった。正直を言えば、私は内心ひょっとしてそういうことになればよいがと、お目にかかれるとわかった数日間、誠にムシの良い夢を抱いていたのだった。その夢でしかなかったことが、実現に近づいてきそうとは!
2011年11月16日
山階鳥研が資料一式の寄贈先として相応しいかどうか現場をご覧になりご判断していただくことで、堀内讃位さんが来所された。下村兼史写真資料の保存状況などもご説明し、次回のご訪問には金庫にある現物をお持ちいただける運びとなった!のである。